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マスオさん生活も悪くない?

妻の義父母と同居するため、福岡に引っ越してもうすぐで一年になる。本当に月日が経つのは早い。世の中でも、最近は妻の両親との近居・同居が夫の両親とのそれよりも増えているとのこと。「同居は大変でしょ?」とよく言われる。「俺は絶対無理」とか「気疲れしそう」など大変なイメージの方が強いようだ。「論より証拠」ということで、実際にマスオさん的生活をしてみて感じたことをいくつか共有したい。
 
常時子供に接触できる人材を確保できる
子供にとってみたら、私と妻と義父母の四人の誰かと、常に接していることになる。大家族で発信される情報量は半端ない。例えば絵本の読み聞かせ方一つでも、私や妻は絵本の字をそのまま読まずアドリブで読んだりするときもあるが、お母さんは絵本の字に忠実に読む。以前仕事から帰って来て妻と当時2歳の息子が遊ぶブロックを見たら1.2.3…の数字の形になっていてこんな遊び方もあるのかと、妻のアイデアに驚いた。お父さん(じいじ)は器用な人なので子供たちのご飯を作ってくれたりおもちゃを作ってくれたりしてくれる。ザリガニ釣りに朝早く連れて行ってくれたり、下の息子のベッドを衣装ケースを利用して作ってくれたりもした。子供の衛生面など細かいところによく気がつくのはお母さん(ばあば)である。科学的に見れば常に脳に刺激を与え続けることで脳のシナプスが増える。三世代同居は育脳においてとても良いことだと実感する。どんなに頑張っても一人の人間が発信できる情報量には限界がある。仕事でもそうだが、今は一人の能力ある人間が引っ張っていくカリスマの時代ではなく、各人の個性を引き出せるチームワークを主導できる指導者、家庭なら夫や妻がその役割を果たすことがとても重要な気がする。
「仕事や家事や育児で悲鳴をあげているのは核家族である」との声もあるが、たしかにその傾向はあるのかもしれない。あきらかに人材不足で一人がいくつもの役割を兼任し悲鳴をあげている組織は、新しいものを創造していく余裕など無い。現状維持がやっとである。家庭も一つの組織であると見るなら、三世代同居という本来の在り方でなければ子育てが夫や妻だけの重労働とならざるを得ない。
 
子育ては己育て
子は親の言うことに似るのではなく、親のやることに似る。実体が問われることになるから、「子育てはまさに己育て」だ。夫婦の会話や私と義父母との関係など、子供は「個人」以上に「連体」としての私達、つまり夫婦、夫と義父母との関係や妻と両親との関係を本当によく見ている。乾いたスポンジのように良いも悪いもどんどん吸収していく。
 人の成長を考えたときに、自分の中から湧き出てくる源泉、好奇心こそが、最も重要ではないかと私は考えている。

 水車に例えると、好奇心という源泉から湧き出て流れる水の力によって、思考力と実現力という2つの水車が動き出すイメージ。勉強法の知識を得てもうまくいかないことがあるのは、好奇心という不断に流れる水の力が不足していたか、思考力や実現力という水車の仕組みに欠陥があるからだ。

これまでの時代は、学校や塾、職場が準備してくれた、教育という電力が自動的に送り込まれ、何も考えないままスイッチ一つで電気機器が動いてくれた。しかし、外部から送られる電力が一度止まってしまうと、停止状態に陥り、何も出来なくなってしまう。学びがそこでストップしてしまう。

これからの時代は、自ら湧き出る泉と水力の力で、いつでも、どこでも、どんな内容でも自ら学び、自家発電する力を持たなければならない。(一生伸び続ける人の学び方/本山勝寛)

親である私自身が「子育てに対して湧き出流る好奇心、ビジョンがあるのか❓」が問われていると感じる。
 

これからは家庭で出世する時代

大家族と言えども、大家族組織を舵取りするのは「夫婦」である。夫婦が、心身の調和した一人の人間のように一つに成り、家庭を正しく導いて行くことが、幸せの原則である。どんなに出世して地位や名誉を手に入れた男性でも、女性がいなければ「半分」。その逆も然り。それは幸せの深さ、味、量も半分迄しか手に入れることが出来ないということ。
妻と私はタイプが全然違う。電車の中では限られた時間をいかに有効に活用できるか、と考え本を読んだりブログ作成をする、眠くなったときこそ筋トレをする。お風呂の中では毎日3分瞑想をする、など変にストイックなところが、妻からしたら理解しがたいのだと思う(^_^;) 妻は、感情表現が豊かであり、物事を説明するプレゼン力が凄い。そして阿部サダヲのだいふぁんなどなど、なんて言ったら良いのか…とにかく私に無いもの、私が持った方が良いものを沢山持っている。
「違う」から喧嘩をしたり別れたりする話は世の中にはいくらでもある。しかし、「違う」からこそ一つに成ると、凄い力を発揮し、良い結果を生み出すことを私は何度も経験してきた。私一人では不可能なことも妻とならなんでも出来る、と思えるのは、「違う」から。一度しかない人生、どんなに難しくても、互いの違いを受け入れることで、互いが一番輝けるなら、私はその道を選び続けるだろう。