家庭人学

原理原則を実践するからこそ、強くて健康で美しい家庭を所有する家庭人が、この世界に溢れて、あらゆる分野の責任者となっていく。それが世界平和への最短の道であることを確信しています。だからこそ、家庭人の為の人間学、『家庭人学』を今、発信しています。 ブログでは音声配信の台本であるツイッターをまとめています。

ハンバーグ(ハンバーグステーキ)の由来

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ハンバーグとハンバーグステーキってどう違うのだろう? 相変わらず、不動の人気を誇る「庁舎食堂定番メニュー・和風ハンバーグ」を見ながら疑問に思ったので、ハンバーグに関することを調べてみました。

ハンバーグ=ハンバーグステーキ

フルスペルで言うとハンバーグステーキで、それを短くしたのがハンバーグ。ハンバーグだけだとドイツのハンブルクのことになり、町の名前になってしまう。つまり、ハンブルク風ステーキ、という意味となる。ハンバーグの原型は、タルタルステーキを焼いたものであるといわれてる。元々ドイツのハンブルクで労働者向けの食事として流行したタルタルステーキは、タタール人が食べていた生肉の料理で、生肉をミンチ上にしたものに生卵をのせて混ぜて食べるという単純なものだった。牛肉だけでは高いので、馬肉などをまぜた合い挽きの肉が、労働者に受けたことで世界中に広まった。そのタルタルステーキを焼いたものがドイツのハンブルグで作られ、それがハンバーグの原点となった。 英語には「Hamburg(ハンバーグ)」が言葉としてはなく、しいていうならこれはドイツの都市ハンブルグを指す。日本ではこの「ハンブルグ」から訛って「ハンバーグ」になったものだと推測されている。

タタ-ル人の遠征料理がハンバーグの起源

ハンブルクの英語読みがハンバーグなのだから、ハンバーグ発祥の地はドイツじゃないの?と、疑問に思う事だろう。だがハンバーグの大本は、ドイツではなく、モンゴル系の部族、タタール人が戦争のついでにヨーロッパへ紹介した物であった。13世紀頃のヨーロッパは、タタール人の侵略に悩まされていた。今のように飛行機でひとっとびの時代ではないため、モンゴルからヨーヨッパへ遠征してくるタタール人の移動手段は、馬にまたがり敵国へ向かうという、気の遠くなるような行程を要すものだった。兵列が長くなると、一番問題になるのは食料の調達方法。では、タタール人は食料をどうやって調達していたのか? 答えは、タタール人は、数頭の馬を連れて行くことにより、食料も賄うという方法をとっていたようである。彼らは、乗りつぶした馬を殺し、肉は料理に、血は飲み水に利用した。しかし、乗りつぶす程酷使した馬なので、当然、筋肉が付き過ぎで肉は硬く、食べられたもんじゃない。従って、彼らは、その不味い肉を美味しく食べられるように、馬の鞍の下に肉を置き、自分の体重で加圧することにより柔らかくした。つまり、この固い肉を柔らかいミンチにして食べる、というタタ-ル人の遠征料理がハンバーグの起源となった。今でもこの遠征料理の原形に近い料理がある。生の牛肉ミンチに卵やら香辛料やらを混ぜ合わせて食べるタルタルステーキである。

ハンバーグステーキはステーキ風のハンバーグだと勝手に思っていたのだが、違った(^^; 歴史を学ぶことは大事だな。まさかタタール人にまでさかのぼるとは。ハンバーグの背後にハンブルクやらタタール人やらがダブって見えてくる。これからハンバーグを食べるときはその歴史も一緒に味わうことにしよう。