子どもの話にどんな返事をしてますか?
🌟礼儀正しさは礼儀正しく教える。子供にお前は行儀が悪いと告げても、為にはならない➡やはり子供は「親の言うように成る」のではなく「親のように成る」ということ
🌟すでに答えがわかっていることについては質問しない方がいい。もっとも効果的な解決策は、私たちの価値観をはっきり言葉にすることだ➡子供が相手を傷付ける可能性がある行動をしたときは、自分が相手の立場ならどう感じるのかを考えさせて真剣に向き合うようにしている。何度も何度も(^^;
🌟子供は間違いを責められるのではなく、努力を褒めてもらう必要がある。間違いは直すためにあるのであって、子どもの能力を攻撃する口実にはならない。
🌟子供は、自分の困難が理解され、評価されていることがわかると、もっとも勇気づけられる。子供はアドバイスや褒め言葉をかけてもらうより、またにわかじたての解決策を提示してもらうより、困難を、共感をもって理解してもらうほうが、元気づけられる。➡大人の私でも、自分の理解者がいることがどれだけの励みになるのかを実感する。子供が親と「繋がっている」と感じられているのか、ここ大事だと思う。
🌟子供のためになるしつけは、子供の行動と感情の両方に注意を向けること。子供に感じていることを話させる一方で、好ましくない行動には歯止めをかけ、ちがう方向へと導いてやる。➡損得観ではなく、善悪観を教育する。親が正しい善悪観を持っているなら親が喜ぶことが善であり、親が悲しむことが悪であるとはっきり教育できる。
🌟娘が学校に行きたくないと言い出したら、「学校には行かなくちゃならないのよ。子供はみんなそうなの。それが法律なの」と言う代わりに、少なくとも空想のなかで子供の願望を叶えてやったほうが、より思いやりのある反応と言える。「今日が休みだったらよかったのに、と思ってるんでしょう。月曜日じゃなく土曜日で、友達といっしょに遊びに行ければよかったって。少なくとも、もう少し眠っていたいのね。わかるわ。朝食は何にする?」→人は理解されると、愛されていると感じる。意識を他に向けさせる、これは子供に対して本当によくやること(^^;
🌟靴紐との闘い。責任についての教えを、靴紐を結ぶことと結びつけない方がいいだろう。靴紐を結ばなくても簡単にはけるスニーカーを買ってやるか、何も言わずに靴紐を結んでやるかして、口論になるのを避けるのが賢明だろう。子供は仲間がみんなそうしていれば、遅かれ早かれ靴紐を結ぶようになる。そう考えていれば、あまりイライラせず、ゆったりかまえていられるだろう。➡急いでいるときや周りの迷惑になりそうなとき、ついつい「早く、早く」と子供に言ってしまう。親が「前もって」出来ることがもっとあるはず。
🌟しつけを最小限にとどめ、会話に花を咲かせる➡躾るときは躾て、その後会話に花を咲かせることで躾たことを浸透させる。これがワンセットな気がする
🌟成長や真の満足は、ぼんやりとテレビを見ていることより、集中した努力、人が自分の能力に見合った挑戦に没頭しているとき、にもたらされやすい。テレビは薬と同じように決められた時間に適量だけ与えられるべきと信じている家庭もある。
🌟「生後三年間は、テレビの視聴に一日一時間半以上費やされるべきではない。三歳以降は、さらに三十分、親と一緒にテレビやPCを楽しむ時間を与えてもいいだろう」➡スマホに子守りをさせてはいけない、子育ては手がかかるもの。
🌟公平にではなく、それぞれ独自に愛する 。それぞれの子供には、公平さや平等性ではなく、特別だという感覚を与えよう
まる呑み精神
世界の最高学部であるハーバード大学では75年間、そして今もある研究が続いている。その研究テーマは「何が人を幸せにするのか」。大学に在学した268人の男性を対象に、卒業後も毎年健康診断と心理テストを行うことで、戦争、仕事、結婚や離婚、育児、老後といった彼らの人生を追跡調査したもので、世界に存在する最も長期的な研究のうちの1つ。2009年にThe Atlanticがこの調査をまとめている。「何が人を幸せにするのか…」今3代目の責任者であるジョージ・パイラントの言う結論はズバリ、「愛以外のなにものでもない」。愛、感謝、信頼、思いやり、畏敬の念、喜び、希望、許し、この8つが重要とのこと。この共通点は「相手がいること、周囲の誰かと関わっていること」である。
こんな面白い研究結果がある。幼年期に母親と暖かな関係が築けていた男性は、そうでない男性よりも8万7000ドル(約890万円)も年収が高いということ。2つ目は、幼年期に母親との関係が乏しかった男性は、老年において痴呆を発症する可能性が高いということ。そして、専門家の人生の後期において、少年期における母親との関係は仕事の効率性に関係する… なるほど、という感じもするが、ポイントは「暖かな関係性」である。
沢山の友達を作ればいいとか、結婚すれば幸せになるとか、グループ・集団に属していれば良いという単純なことではない。現に、結婚したりグループに属していても「孤独」を感じる場合があるし、グループに属していなくても孤独を感じず「幸福感」に満たされることもある。「つながっている」という実感を持てるかどうかは私自身がそう感じるのか感じないのかという主観的な問題である。
様々な人間関係、接しやすい人もいれば、そこにいるだけでストレスになる人もいる。もしこの人が居なかったらどれ程楽しいだろうかと思ったり思わなかったり😃💦 置かれた場所で咲くしかない… 「不幸の背後に幸福がある」「試練の背後には祝福がある」との格言があるが、愛せない存在程私を成長させてくれる存在はない。職場では上司、同僚や部下、家庭では夫婦、親子、義父母や氏族との関係の中で「今ここに生きる」精神で一つに成るその愛を実践する。自分にとって良いことも良くないことも、全てをまる呑みして、大きな愛を込めて消化していく道だけが、真に充実した人生に繋がると思う。
為に生きる味わい
障がいのある方々の就労支援を始めてそろそろ一年になる。食堂の盛付、配達などの作業、所内の内職作業、マンション清掃や誕生会など様々なイベントがあり、「食」には全く縁の無かった私が今はにゃんと食堂に責任を持っている。全ての利用者さんに食堂作業を継続的に経験して欲しいと願っているが、しかし、実際は決まった人しかシフトに入らないのが現状である。まさに「新しいものや異質なものを受け入れることの難しさ」を感じる。人は自分が経験したことのないこと、勝利のイメージが湧かないことに対しては「不安や恐怖」が先行してしまう。だから、新しいことになかなか挑戦できない。 しかし、よく考えてみて欲しい、最も身近にある私の心と体は、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」という全く違うものでありながら、互いに調和しようと日々努力し続けている。そしてその無数のチャレンジの上に「私」が存在している。そう考えると「私」は数えきれないくらいの「挑戦」でできている。。。どうだろう、違いを受け入れるということが少し身近に感じない、だろうか(^_^)
「洗濯ねこさん」という絵本がある。くろねこさんがゾウ、虎などの動物たちの服を一生懸命に洗濯してあげる。そうこうしているとぞうさんがながーい鼻から水を出してくろねこさんを洗ってくれた。なんと、くろねこさんは実は「しろねこさん」だった。というお話し。周りの為に生きていたら、周りが自分を洗ってくれた。くろねこさん(本当はしろねこさん)は他の為に生きることが楽しくて仕方がなかったのかもしれない。他のために生きることが新しいことにチャレンジする「原動力」となる。
私たちは責任者やスタッフという立場として、人に何か新しいことをチャレンジしてもらうときに、その人の好奇心に火を付けるのがあまり上手くない。それは他のために生きる味わいは「教える」ものではなく自然に「伝導」して行くものだからだろう。相手の人生や成長に本当に関心があるかどうか、心から相手を幸せの方向に導いていきたいのか、瞬間瞬間のその実体や生きざまから滲み出てくるもの。まさに「子は親の言うように成る」のではなく、「親のように成る」である。
好奇心からすべてが始まる
「好奇心」という言葉に出会った。好奇心をテーマに本を探したら、アインシュタインに行き着いた。タイトルはズバリ❗「好奇心から全てが始まる」。茂木健一郎氏自身が影響を受けたアインシュタインについて書いている。印象に残った言葉と私なりのコメントを少しシェアさせて頂きたい。
🌟大事なことは疑問を持つことを止めないことだ。好奇心はそれ自体に存在意義がある。人は永遠や人生の神秘、そして実在の背後にある驚くべき体系の神秘について熟考すれば、必ず畏敬の念にとらわれる。毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば、それで十分である。聖なる好奇心を失うな
➡好奇心って、人の成長にとって不可欠! 最近、好奇心について自分なりにいろいろ研究してるけど、「自分を知りたい好奇心」ってかなり重要だと感じる。自分のアイデンティティーとか、本当の自分についてとか、どれくらい好奇心持ってるかなぁ。。
🌟自分のせいと感じても環境を見直す。環境のせいと感じても自分を見直す。
➡すべては私の問題である。結局最後はこう思えることができたら、そういう人が増えたら、世の中本当に変わると思う。
🌟プライドを捨てる前に、プライドの形を変えてみてごらん
🌟信じるためにはまず疑う
🌟責任を引き受けてみよう、意外な力が発揮できる
➡責任を持つことは誰もが嫌がることかもしれないけど、責任を果たすことでしか人は本質的に成長しない、という原理に気付く
🌟ひとりのときの過ごし方が自分の価値を決めている
🌟大きく困れば大きく開ける
➡大きな願いがある人ほど大きな試練が与えられる。
🌟「教えることにこれほどの喜びがあろうとは、それが現実にそうなってみるまでは信じたことはありませんでした。」
➡人には自分のような、または自分以上の存在を育てたいという本心があると信じて止まない
🌟ある晩餐会で隣に座った18歳の少女から「お仕事は何ですか」と聞かれ、「物理学の勉強をしているんですよ」「お詫びなんか要りませんよ。あなたのお子さんが私から学んだ分だけ、私もお子さんから学んでいるんですから」 教えることは教わること。
🌟相対性理論が有名大学のエリート教授によってではなく、特許局で働く無名の役人によって提唱された
🌟時間をとられても自由はある。特許局での7年間を、もっともすばらしいアイデアを生み出した充実した期間だと振り返っている。
🌟一つは時間の使い方。24時間を無駄なく合理的に使っていた。仕事を早く終わらせて、より多くの時間を研究にさいた。
➡今自分は何か新しいことを学んでいるのだろうか、何かを真剣に考えたりそのことに対して実際に動いて研究しているのだろうか。日々仕事に子育てにと、確かに頑張っている。しかし、それだけではどうやら人間の本心は満足しないようだ。人は皆学者であり研究家でありたいのだ。
🌟もう一つは心の自由さ。特許局を自由な研究の場だと考えていた。多くの人が「不自由だ」と思う環境を、自由な環境に変えてしまうことで、発想を飛躍させることが出来た。
➡自分が勤めている職場を「研究の場」「研究していることを実践する場」として捉えると面白い。職場を不自由な場とするのか、自分に都合の良い自由な場にするのかは、私次第。
🌟「すべきだから」するよりも「好きだから」するほうがクリエイティブ
🌟共に学び共に考えるすばらしい仲間がいた。「オリンピアアカデミー」➡様々なテーマについて議論を交わした 大都会に住むよりも遥かにすばらしい知的な刺激をアインシュタインにもたらした。
🌟場所に恵まれるより、仲間に恵まれたほうがいい。相対性理論はアインシュタインが独力でまとめたものですが、それを決定的に助けたのが「オリンピアアカデミー」や仲間たちとの読書や議論だった。
🌟1905年は「奇跡の年」と言われる。一挙に5編の論文を発表した。学問的発見と言うよりも歴史的な大事件。「直感とは、それ以前の知的経験の結果にすぎない」➡ひらめきは日々の実り。
🌟ゆっくり走ろう。遠くまで走れるよ。チャンスは準備の出来た人にやって来る
➡「知恵ある人」とは「時を逃さない人」
「汗を流し、涙を流し、努力に努力を重ねるうちに、ほんまものの知恵というものが湧いてくる」――。松下幸之助の言葉です。
🌟いい言葉は受け止める。いやな言葉は受け流す
🌟飾らないことには意味がある。それは、中身で勝負するしかなくなることだ。
➡自分の心に嘘をついて、周りに合わせて生きるのは疲れる。中身を正しく育てていく努力と実践を積めば、飾らなくても周りが私を飾ってくれる。
🌟「やる価値があり、達成出来ないけれど懸命に努力すれば何とかなりそうな課題」に取り組んでこそ、成長でき、世の中への貢献も出きる。➡良い目標を選べたら、半分以上成功している。
🌟可能性は不可能の顔でやって来る
🌟平凡なことを見直せる人が非凡な人なんだ
➡成長する人の共通点は「縦的素直さ」つまり本心の前に素直な人
自分を知りたい好奇心
マスオさん生活も悪くない?
水車に例えると、好奇心という源泉から湧き出て流れる水の力によって、思考力と実現力という2つの水車が動き出すイメージ。勉強法の知識を得てもうまくいかないことがあるのは、好奇心という不断に流れる水の力が不足していたか、思考力や実現力という水車の仕組みに欠陥があるからだ。
これまでの時代は、学校や塾、職場が準備してくれた、教育という電力が自動的に送り込まれ、何も考えないままスイッチ一つで電気機器が動いてくれた。しかし、外部から送られる電力が一度止まってしまうと、停止状態に陥り、何も出来なくなってしまう。学びがそこでストップしてしまう。
これからの時代は、自ら湧き出る泉と水力の力で、いつでも、どこでも、どんな内容でも自ら学び、自家発電する力を持たなければならない。(一生伸び続ける人の学び方/本山勝寛)