為に生きる味わい
障がいのある方々の就労支援を始めてそろそろ一年になる。食堂の盛付、配達などの作業、所内の内職作業、マンション清掃や誕生会など様々なイベントがあり、「食」には全く縁の無かった私が今はにゃんと食堂に責任を持っている。全ての利用者さんに食堂作業を継続的に経験して欲しいと願っているが、しかし、実際は決まった人しかシフトに入らないのが現状である。まさに「新しいものや異質なものを受け入れることの難しさ」を感じる。人は自分が経験したことのないこと、勝利のイメージが湧かないことに対しては「不安や恐怖」が先行してしまう。だから、新しいことになかなか挑戦できない。 しかし、よく考えてみて欲しい、最も身近にある私の心と体は、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」という全く違うものでありながら、互いに調和しようと日々努力し続けている。そしてその無数のチャレンジの上に「私」が存在している。そう考えると「私」は数えきれないくらいの「挑戦」でできている。。。どうだろう、違いを受け入れるということが少し身近に感じない、だろうか(^_^)
「洗濯ねこさん」という絵本がある。くろねこさんがゾウ、虎などの動物たちの服を一生懸命に洗濯してあげる。そうこうしているとぞうさんがながーい鼻から水を出してくろねこさんを洗ってくれた。なんと、くろねこさんは実は「しろねこさん」だった。というお話し。周りの為に生きていたら、周りが自分を洗ってくれた。くろねこさん(本当はしろねこさん)は他の為に生きることが楽しくて仕方がなかったのかもしれない。他のために生きることが新しいことにチャレンジする「原動力」となる。
私たちは責任者やスタッフという立場として、人に何か新しいことをチャレンジしてもらうときに、その人の好奇心に火を付けるのがあまり上手くない。それは他のために生きる味わいは「教える」ものではなく自然に「伝導」して行くものだからだろう。相手の人生や成長に本当に関心があるかどうか、心から相手を幸せの方向に導いていきたいのか、瞬間瞬間のその実体や生きざまから滲み出てくるもの。まさに「子は親の言うように成る」のではなく、「親のように成る」である。